和辻哲郎

京都から奈良へ来る汽車は、随分きたなくガタガタゆれて不愉快なものだが、沿線の景色はそれを償うて余りがある。桃山から宇治あたりの、竹藪や茶畑や柿の木の多い、あのゆるやかな斜面は、いかにも平和ないい気分を持っている。茶畑にはすっかり覆いがしてあって、あのムクムクとした色を楽しむことはできなかったが、しかし茶所らしいおもしろみがあった。柿の木はもう若葉につつまれて、ギクギクしたあの骨組みを見せてはいなかったが、麦畑のなかに大きく枝をひろげて並び立っている具合はなかなか他では見られない。文人画の趣味がこういう景色に培われて育ったことはいかにももっともなことである。 この沿線でもう一つおもしろく感ずるのは、時々天平の彫刻を思わせるような女の顔に出逢うことである。これは気のせいかも知れぬが、彫刻とモデルとの関係はきわめて密接なはずだから、この地方の女の骨相と関連させて研究してみたならば、天平の彫刻がどの程度にこの土地から生い出ているかを明らかにし得るかも知れぬ。 奈良へついた時はもう薄暗かった。この室に落ちついて、浅茅が原の向こうに見える若草山一帯の新緑(と言ってももう少し遅いが)を窓から眺めていると、いかにも京都とは違った気分が迫って来る。奈良の方がパアッとして、大っぴらである。T君はあの若王子の奥のひそひそとした隠れ家に二夜を過ごして来たためか、何となく奈良の景色は落ちつかないと言っていた。確かに『万葉集』と『古今集』との相違は、景色からも感ぜられるように思う。